財政と景気:近道はない
No short cuts
英国エコノミスト誌 2012年10月27日号より
「財政・金融による刺激策(fiscal and monetary stimulus)」
リーマン・ショックに端を発した世界的な景気後退(recession)。
それは、各国の行った積極的な財政・金融による景気刺激策(fiscal and monetary stimulus)によって、打ち負かすことができたように思えました(vanquished)。これは2年前の話です。
「財政再建(fiscal consolidation)」
景気刺激策というのはお金のかかるものでありますから、景気後退さえ打ち負かしてしまえば、無駄な出費は避け、財政再建(fiscal consolidation)に乗り出さなければなりません。
その結果、ここ2年間で先進国の財政赤字(deficits)はGDP比で0.75%削減される見込みです。
「経済を覆う闇(economic gloom)」
ところが、各国政府が景気刺激策から手を引いた途端、やっつけたと思っていた敵(foe)は徐々に息を吹き返してしまいました。
どうやら、景気後退を退散させるためには、刺激策が十分ではなかったらしく、背を向ける(left behind)のが早すぎたようです。その闇(gloom)はふたたび世界を覆い始めています。さらに深くなって…。
「刺激策から緊縮へ(from stimulus to austerity)」
財布のヒモを緩める景気刺激策(stimulus)から、逆に緊縮(austerity)へと各国政府を向かわせたのは、支払い能力への不安(solvency worries)、つまり、借金が返せなくなるかもしれないという不安があったためです。
とりわけギリシャへの不安が掻き立てられると、次は自分の番かもしれない(they might be next)と、各国政府は戦々恐々としてしまったのです。
「緊縮財政(belt-tightening)」
危機が去ったかに思われた2年前、IMF(国際通貨基金)は各国に緊縮財政(belt-tightening)を呼びかけました。
論争(controversy)が巻き起こったのは、この時です。一部の学者は緊縮財政は早計であり、利益より害の方が大きくなるかもしれない(cuts could do more harm than good)と警告したのです。
「財政乗数(a fiscal multiplier)」
こうした議論の中心となったのは、経済学で「財政乗数(fiscal multiplier)」と呼ばれる変数(variable)についてのものでした。
財政乗数とは、政府の緊縮財政がGDPにどれほどのインパクトを与えるかを示す数字です。たとえば、乗数が「1.5」の場合、政府が支出を1ドル削減すれば、GDPはその1.5倍の1.5ドル減ることになります。
つまり、財政乗数がその国のGDPの成長率を超えてしまうと、その緊縮財政は経済に打撃を与えてしまうこととなるのです。
「単純な例(a simple example)」
たとえば、ある国の経済成長率が「1.5%」だったとします。もし、財政乗数がその成長率より大きい「2」の状態で、政府がGDP比1%の緊縮財政(spending cut)を行えば、それは経済成長に2倍の悪影響、つまり2%のマイナス効果をもたらします。
その結果、政府が行った1%の緊縮というのは水泡に帰すことになります。なぜなら、緊縮によって経済規模が小さくなるのであれば、小さくなったGDPに対する借金比率(debt-to-GDP ratio)が上昇してしまうからです。
この場合、緊縮できるギリギリのラインはGDP比0.75%までということになります。乗数によって2倍になっても、成長率の1.5%を超えません。
「2年前の分析(2010 analysis)」
IMF(国際通貨基金)による2年前の分析(analysis)によれば、財政乗数は「0.5」でした。すなわち、緊縮財政に踏み切っても、その半分しかGDPに影響を与えないと考えたのです。それゆえ、各国に緊縮財政を呼びかけたのでした。
しかし、財政乗数に関する試算(estimates)は多岐に渡ります(all over the map)。そんな中、同じ2年前の大方の一致した財政乗数は「1前後」。これはIMFの試算に比べて、2倍も厳しく現実を見つめていたものでした。
「相殺(can offset)」
IMFの試算が甘かったのは、緊縮財政による打撃(the blow)は、ほかの要素で相殺できる(offset)と考えていたためです。
政府の緊縮財政が、民間部門(private-sector)に拡大の余地(room)を与えるというのが、その理由です。つまり、民間企業のクラウドイン効果を期待していたのです。
「中和(counterweight)」
また、財政を緊縮させた分、金融政策を緩和させる(金利を引き下げる、もしくは紙幣を増刷する)こと(monetary easing)により、財政乗数は抑えることができるとされています。
すなわち、財政政策と金融政策をうまく組み合わせることで、経済への打撃を和らげることも理論上は可能なのです。
「ゼロ金利(near zero)」
ところが、先進国の金利はほぼゼロ。金融を緩和させるための金利引下げの余地は限りなく狭まっています(less room to act)。
紙幣増刷、もしくは国債買取などの手段は残されているにしろ、金利の下げ代がこれほど限定的な状況下にあっては、財政乗数が「3」を超える可能性も指摘されています。
「最悪のタイミング(less auspicious)」
さらに、多くの国が一斉に緊縮財政に走ることも、財政乗数を大きくしてしまいました。
というのも、開かれた経済(open economies)において、緊縮財政の打撃は他国に転嫁することも考えられたわけですが、みんなが一斉にやってしまったため(at once)、そのハケ口がなくなってしまったのです(couldn't easily be deflected elsewhere)。
「大問題のユーロ圏(big problem in the euro zone)」
とりわけ問題が大きくなってしまったのが、ユーロ圏です。なぜなら、共通通貨を持つがゆえに、弱い国だけが通貨の価値を切り下げる(devalue)ということも叶わなかったのです。
つまり、金利の引き下げ効果も小さければ、通貨による吸収力もほとんどなかったわけです。皮肉にも、最も弾力性に欠くこの地域が一番緊縮に熱心だったりするのですが…。
「失業率と貯蓄率の高さ(unemployment and saving were high)」
また、政府の緊縮にともなって期待された民間部門へのリソース開放にしても、うまく機能しませんでした。
失業率が高い状況下、民間企業は積極性を欠いており、投資よりも貯蓄(saving)に走ってしまったのです。
「過小評価(underestimated)」
当然、IMF(国際通貨基金)もこうした負の要素を認識し、警告もしていました。しかし、それでもIMFが緊縮財政による負のスパイラルを過小評価していたことは否めません。
2年前に財政乗数を「0.5」としていたIMFですが、実際には「0.9〜1.7」。つまり、予測よりも2倍も3倍も緊縮財政は世界に悪影響をもたらしてしまったのです。
結果的にIMFは、GDP比1%の緊縮に対する成長率を1%も過大評価してしまっていたことが明らかになってます。
「早急な緊縮財政(rapid belt-tightening)」
2年前に予測されたよりも、経済の苦境(hardship)は厳しいものであり、そのため、各国政府による財政再建も予想より進んでいません。
早急な緊縮財政(rapid belt-tightening)は表面的には赤字の数字を減らしてくれました。しかしそれは、今後の糧となるはずの経済成長を犠牲としたものでもあったのです。
「こうなることは分かっていたはずだ(it should have seen this coming)」
財政乗数を厳しく見積り、緊縮財政に反対し続けてきた人々は、こうなることは分かっていたはずだ(it should have seen this coming)と、IMFを批判します。
こんな映画を見たことがあるだろう、と彼らは言います。倒したと思っていた敵(foe)がじつは死んでおらず、背を向けた途端にふたたび襲ってくるという展開です。
2年前に死んだと思っていた景気後退は、じつはしぶとく生き続けていました。緊縮財政という美味しいエサをもらいながら…。
一時的な景気刺激策で退治することのできなかったモンスター。その戦いはすっかり長期戦の様相を呈しています。
籠城という戦略は、どこからか援軍が来ることを前提にして成り立つと言われますが、今の世界的な緊縮財政のもとにあって、援軍はどこからやって来るのでしょうか。
前回は頼みの綱になった中国までも、籠城に向かいそうでありますが…。

英語原文:
Free exchange: No short cuts | The Economist