インドの資本主義:ラタン・タタの遺産
Capitalism in India : Ratan Tata's legacy
英国エコノミスト誌 2012年12月1日号より
「礼儀正しく、控え目で上品(Polite, elegant and reserved)」
過去20年間にわたってインド産業界(India's corporate scene)の王として君臨してきた「ラタン・タタ(Ratan Tata)」氏。
そんな彼は礼儀正しく(polite)、控え目で上品(elegant and reserved)。インド人の多くはタタ氏に尊敬の念を抱いているといいます(look up to him)。イタリア人がフィアットのジャンニ・アニェッリ(Gianni Agnelli)氏を、あるいはアメリカ人がJPモルガンに敬意を抱くように。
「タタ・グループのおかげ(all courtesy of Tata firms)」
タタ・グループの傘下企業は多岐にわたり、それらの事業はインド人の生活に深く関わっています。
たとえば、家に住み、自動車を運転し、電話をかけ、料理に味付けし、保険に加入し、時計を身につけ、靴を履いて歩き、エアコンで涼み、ホテルで過ごす、これらあらゆる場面でインド人はタタ・グループの恩恵を受けることになるのです。
「インド最大の複合企業(India's largest conglomerate)」
タタ氏の率いるコングロマリット(複合企業)は、インド最大の民間企業であり、インドの株式市場の7%を占めるほどです。インドの法人税(corporate tax)の3%、物品税(excise duty)の5%を納めるのもタタ氏のもつ企業群なのです。
そのタタ氏は、12月28日をもってタタ・サンズ(Tata Sons)の会長を退任することとなります。
「昔ながらの君主(an old-style dynast)」
ラタン・タタ氏は、ハイテク業界の天才たち(the high-tech wizards)のようなオタク系の起業家(geekish entrepreneurs)ではありませんでした。
彼は創業144年もの長い歴史を誇るタタ財閥の5代目(fifth generation)であり、昔ながらの君主(an old-style dynast)だったのです。
Source: economist.com via Hideyuki on Pinterest
「王様然として秘密主義(being regal and secretive)」
ラタン・タタ氏の功績は多大なれども、それを批判する向きも少なからずあります。批判派はタタ氏のことを王様然とした秘密主義だ(being regal and secretive)と非を鳴らすのです。
また、グループ内で大きな成功を収めているハイテク部門のTSCは、この部門にタタ氏がほとんど手を出さなかったことを非難します。
「相次ぐ買収(a wave of takeovers)」
確かにタタ・グループは企業財務の模範(a financial paragon)とは言い難い側面があります。
相次ぐ買収(a wave of takeovers)によって、債務を抱えた体力のない事業(flabby and indebted businesses)もグループ内には存在します。タタ財閥を悪く言えば、寄せ集めのコングロマリット(a ragbag conglomerate)ともなってしまいます。
「強烈な教訓(powerful lesson)」
そうした負の側面をタタ・グループは持つにしろ、ラタン・タタ氏の功績(career)は強烈な教訓(lesson)を教えてくれます。それは、外の世界から得るものは、失うものよりも遥かに大きいということ(far more to gain than lose)です。
この教訓は、内向きになりがちなインド(an introverted india)にとって、極めて重く響きます。
「グローバル化(globalisation)」
タタ氏にとって、グローバル化(globalisation)に対する抵抗はありませんでした。若き日の彼はアメリカで建築学(an architect)を学んだのであり、今でも現場の若手エンジニアと議論することを好みます(経営報告書を読むよりも)。
インド経済が開放路線に舵を切る前から、タタ氏は競合する海外企業の買収が必要となることにも気が付いていたといいます。
「外国企業の買収(foreign takeovers)」
タタ氏の大型買収(takeovers)には光もあれば影もありました。
たとえば、イギリスの鉄鋼大手(giant steel firm)コーラスの買収は財務上の大失敗(a financial disaster)に終わってしまいましたが、ジャガー・ランドローバーの買収は大成功(a triumph)でした。
しかし、その成否に関わらず、タタ氏の大胆な行動は世界にインド企業ありということを強烈に知らしめました。新興国インドの企業が、グローバル企業のトップの一角(the top table)に座るに相応しいことを身をもって示したのです。
「グローバル化の堅持(a firm advocate of globalisation)」
内向きなインド(an introverted india)には、流通業から石炭、新聞に至るまで、あまりにも多くの保護された産業(protected industries)が存在します。
そんな中、タタ・グループによる世界への飛躍は鮮烈でした。そして、ミタルやインフォシスなどがその後に続くことになったのです。
「清廉さ(integrity)」
また、ラタン・タタ氏の清廉さ(integrity)も、汚職まみれのインド(corruption-obsessed India)ではひときわ輝いていました。彼は公私の場を問わず一貫して、汚職に反対する姿勢を毅然と貫いたのです(stood against corruption)。
しかし残念なのは、タタ・グループといえどもスキャンダルを避けて通れなかったことです。悪徳トレーダー(a rogue trader)もいれば、通信免許の不正割当を巡る騒動(furore)もありました。今なお、巨大企業のどこかでは不正(funny business)が行われているかもしれないのです。
「縁故主義(crony capitalism)」
ラタン・タタ氏は既得権益(vested interests)への攻撃姿勢も貫いていました。企業が政治家にカネを払って便宜を図ってもらう縁故主義(crony capitalism)には批判的だったのです。
それはもしかしたら、自身のタタ財閥の過去が政治家に取り入ること(toadying up to politicians)によって成り立ってきた歴史に対する反省だったのかもしれません。
「インドにとっての脅威(a threat to India)」
今、インドにおける縁故主義(crony capitalism)は、同国にとっての大きな脅威(threat)となっています。
1990年代にはタタのように清廉潔白(squeaky-clean)になろうとした企業がインドにも多く現れ、一時期のインド経済は株式を公開するという透明性の高い方向に進もうとしていました。
ところが、この10年で状況は後退してしまったようです(gone backwards)。あまりに多くの同族会社(famiry firms)がガバナンス向上に関心を持たなくなり、株式を発行して支配権を手放すことを嫌うようになっているのです(unwilling to relinquish control)。
「政府に支えられたゾンビ(state-supported zombies)」
レント・シーキング(rent-seeking)と呼ばれる部門は、インド縁故主義(crony capitalism)の巣窟であり、政府の関与が著しくて外国企業との競争がほとんどありません(little foreign competition)。
この部門における汚職スキャンダルは日常茶飯事であり、仮りに窮地に陥ったとしても政府に助けてもらえます(鉱業やインフラなど)。しかし、国営銀行(state-run bank)から受けた融資を損失処理(write down)せずに繰り延べることで(roll over)、インドにはゾンビ化する同族企業が後を絶たなくもなってきているといいます。
「疑念(suspicion)」
汚職にうんざりしている(fed up)インド国民は、腐敗防止機関(anti-corruption agencies)によって厳しく企業を監視するようになりました。企業は鏡の間(a halls in mirrors)のようにされ、疑惑を糾弾するための指は、今やあらゆる方向を指し示しているのです。
しかし、その疑念と窮屈さによって、誠実な官僚(clean officials)までもが槍玉に挙げられてしまうという不幸にも陥ってしまいました。それゆえに、インドの民間投資は落ち込んでしまい、引いてはインド全体の経済成長を10%から半減させることにもなってしまったといいます。
「時代の先(ahead of time)」
1991年にタタ・グループのトップに立ってから、ラタン・タタ氏は公然と、かつ一貫して汚職に立ち向かってきました。その目は明らかに時代の先(ahead of time)を行くものでした。
彼は封建的な企業経営者(federal corporate leaders)の最後の一人でありながら、より開放的な次世代経営者の最初の一人でもあったのです。
その狭間に立たされているインドは今、ラタン・タタという稀有なる人物の退任をどう受け止めるのでしょうか? 時代を加速させようとするのか、それとも縁故主義に引き釣りこまれていくのか? 内に目を向けすぎて疑念ばかりを膨らませていくのか、それとも外へと目を外へと向かっていくのか?
インド10億人の願いは明白でありながら、もうしばらくは苦闘が続きそうでもあります…。
英語原文:
Capitalism in India: Ratan Tata’s legacy | The Economist