2012年09月07日

なぜ増える? 民主国家の借金


民主主義と借金
Democracies and debt

英国エコノミスト誌 2012年9月1日号



「民主主義国の数(the number of democracies)」


第二次世界大戦(the second world war)以降、民主主義国(democracies)の数は着実に増加し、いまや世界人口の半数近く(almost half)が民主主義国に住んでいるということです。



「禁句(a dirty word)」


ただ、ここで忘れられがち(easy to forget)なのは、その大半の国家が歴史的に民主主義であった期間が短く、むしろ、かつては民主主義という言葉自体が、政治家や哲学者たちにとっての禁句(a dirty word)だったということです。



「破滅を招く(lead to ruin)」


民主主義という言葉が禁句とされていたのは、民主主義が破滅を招く(lead to ruin)と政治家や哲学者たちに恐れられていたためです。

古代ギリシャの哲学者・プラトンは、こう警告しました。「民主主義は金持ちから財産を奪い取る(rob the rich)。指導者はできるだけ自分の懐にカネ(the proceeds)を入れ、その残り(the rest)を人々に分け与える」と。



「紙幣に対する欲望(a rage for paper money)」


アメリカ建国の父(founding fathers)の一人、ジェームズ・マディソンは民主主義を、こう懸念しました。

「紙幣への欲望(a rage)、借金の帳消し(an abolition)への欲望、その他もろもろの悪質な企て(wicked projects)…。民主主義はこれらを引き起こしかねない」と。



「平等の名のもとに(in the name of equality)」


アメリカ第2代大統領のジョン・アダムズは、こんな心配をしました。「民主主義は、平等(equality)の名のもとに、金持ち(the rich)に対して重税(heavy taxes)を課すのではないか?」と。

その結果、「怠け者(the idle)や悪者たち(the vicious)が放蕩の限りを尽くすことになるのではないか?」と。





「民主主義に代わる体制(alternative systems)」


民主主義の欠点を懸念した人々は、歴史上、それに代わる体制(alternative systems)を模索しました。しかし、なかなか欠点(faults)のない体制というのは見つからなかったようです。

たとえば、独裁政権(dictatorships)や絶対君主制(the absolute monarchies)などは、財政的に堅実(prudent)とは言えませんでした。



「財政問題(financial problems)」


独裁政権(dictatorships)は、自らの力を強化する(shore up)ために強い軍隊を必要とし、その費用は巨額となります。と同時に民衆への施しも求められます(暴れられないように)。

また、絶対君主制(the absolute monarchies)を敷いていたスペインとフランスは、17世紀と18世紀に財政危機(fiscal crises)に陥ってしまい、イギリスとオランダに取って代わられてしまいました。

ソ連崩壊(the collapse)も、その一因は財政問題です。



「債務危機(debt crisis)」


歴史は巡り、民主主義が世界に普及した今、もっとも初期の段階で民主主義を導入した国家は、債務危機(debt crisis)に苛(さいな)まれています。

おや? 財政的に強いとされた民主主義が、借金で首が回らなくなるとは…。はたして、民主主義を禁句としていた過去の政治家や哲学者たちの懸念は、ここに来て現実となった(come to pass)のでしょうか?



「その正反対(quite the reverse)」


確かに民主主義が万全でなく、その結果、国家の借金ばかりが増えていったのは事実ですが、その過程は過去の偉人たちが懸念したものとは、まったく正反対(quite the reverse)です。

昔の人は、民主主義はお金持ちからカネを奪う、と心配していたわけですが、アメリカやイギリスなどでは逆に、お金持ちが益々お金持ちになって、その格差(inequality)は広がるばかりです。



「現代の政治家(modern politicians)」


さらに、現代で政治家になるためには、自らが裕福でなくてはなりません(need to be wealthy)。もしくは、他の金持ちからの資金援助(financial backing)が必要です。

そして、その政治家は社会に対して、利益を与える大きな源泉(a huge source)となるのです。



「受益者(the recipients)」


政治家たちが社会に還元する利益を受けるのは、その国の国民たちです。

そうした民主主義の国の国民が受ける利益(goodies)は、その税負担に対して、一般的に非常に価値が高い(highly valuable)ものであります。そのため、受益者(the recipients)たちは喜んでそのコスト(税金)を負担し、納税に反対する理由はさほど感じません(little reason)。



「フジツボに覆われた船(a barnacle-encrusted ship)」


民主主義国の納税者たち(国民)が大人しく税金を収めるのは、その額が比較的小さい(single perk will be small)からでありますが、その税金が政治家たちによって適切に運営されていないと、国家には少しずつ少しずつ、借金がたまっていきます。

それはあたかも、航行する船の底に付着する貝・フジツボ(barnacle)のようなものであり、それが溜まっていくと次第に船の速度は遅くなっていき、しまいに沈んでしまうのです。その重みに耐えかねて…。



「典型的な実例(textbook example)」


その沈んだ船の典型的な実例(textbook example)は、ギリシャ経済と考えることもできます。国民から徴収する税金以上に浪費してしまったギリシャという船は、フジツボだらけとなってしまったのです。



「解決策の一つ(one answer)」


フジツボだらけとなった船を、まともな船に戻すには、どうしたら良いのでしょうか?

一つの解決策として、財政政策(fiscal policy)を選挙で選ばれた政治家たちの手から切り離す(out of hands)というものがあります。というのも、票を得ようとする政治家たちは、選挙民に甘い約束をしてしまいがちだからです。

その愚を避けるため、金融政策(monetary policy)に関してはすでに政治家の手を離れており、金融政策の責任は独立した中央銀行(independent central bankers)に一任されています。



「選挙を経ていない政治家たち(unelected leaders)」


実際、財政政策で失策を犯した国家、たとえばギリシャやイタリアなどでは、選挙で選ばれた政治家たちが排除され、その代わりに選挙を経ていない指導者たち(unelected leaders)が国政を任されました。

ギリシャを一時的に率いたパパデモス氏は元中央銀行家であり、イタリアのマリオ・モンティ首相はEUの元欧州委員です。



「実務家(technocrats)」


こうした選挙を経ていない政治家たちは、テクノクラート(実務家)と呼ばれております。彼らに期待されるのは、国民に不人気な決断(unpopular decisions)を積極的に下すことです。というのも、選挙に生命線を握られた政治家たちには、そうした決断が下せないからです。

選挙でアメを約束してしまう政治家たちは、国民にアメばかり与えて、国をダメにしてしまいます。それに対して、選挙が絡まないテクノクラートたちは、バシバシとムチ打って、その行いを正してくれるのです。



「超党派の委員会(a bipartisan commision)」


また別の手段としては、政党間のカベを超えた超党派(bipartisan)の委員会に重要な決断を任せるという方法もあります。これはアメリカが時々やろうとしていることです。

その効用はテクノクラートを起用するのと同様、政党の綱領にがんじがらめにされてしまった政治家たちを、そこから解放してやることにあります。政党がなければ選挙には勝てない。しかし、その政党が政治家たちを縛ってしまう。そんなジレンマが民主主義にはあるのです。



「見捨てられた?(abandaned)」


テクノクラートや超党派に重要な決断を委ねることは、民主主義に反する側面もあります。なぜなら、テクノクラートは選挙で選ばれていないのであり、超党派は選挙で約束した政党の決まりを無視するからです。

しかしそれでも、民主主義が完全に見捨てられたわけではありません。テクノクラートの決断にしろ、超党派のそれにしろ、最終的には議会の採決(a parliamentary vote)にかけられるのですから。



「上限なし(no limit)」


民主主義の歴史において、民主国家が借りられるカネには上限(limit)がないかのように、長らく勘違いされてきました。

たしかに、他の政治体制に比べれば、突然の政策変更が少ないために、国民が国に貸したカネが返ってこなくなるリスクは、あまり懸念されていなかったのです。



「先送り(postponed)」


しかし、民主国家に破綻が少なかったのは、その危機の到来時期(the crunch point)が、ただ単に先送りされていた(postponed)からに過ぎませんでした。

船底に付着するフジツボは、少しずつ少しずつ増えてはいっていたのですが、当面は気になるほどではなかったのです。本当は、あまり付着されないうちに対処しなければならなかったのですが…。



「膨大な借金(higher debt)」


フジツボを放っておいた船が無事でいられるはずはありません。船が傾き始めた頃には、その借金の額が手に負えないほどに膨れ上がっていたのです。

その積み上がった膨大な借金は、歴史上のどんな不安定な国家(volatile countries)も成し得たことがないほどに巨大なものでした。



「富の没収(confiscate the wealth)」


なぜ、民主国家は借金をそこまで放っておけたのでしょうか?

それは、国民から富を没収する(confiscate)方法が許されていたからです。たとえばインフレ(物価上昇)を起こして、借金の価値を減額したり、ときにはデフォルト(債務不履行)を宣言して返済を放棄したり、または増税により、直接国民からの集金額を上げたりして。

歴史の先人たちが懸念していた通り、民主主義には国民の財産を奪う側面がありました。しかしそれは、金持ちからだけの没収とは限りませんでしたが…。



「外国の貸し手(foreign lenders)」


しかし、インフレやデフォルト、増税などで借金を誤魔化すことができるのは、せいぜい国内の国民に対してのみ有効な手段です。その同じ手法は、外国の貸し手(foreign lenders)には通用しないのです。

昨今のユーロ金融危機の根っこは、ここにありました。財政が破綻した国家というのは、国内からの富の没収に限界をきたし、外国から大金を借りてしまっていたのです。この点、日本国家は借金が多いといえど、いまだ国内問題にとどまっているのです。



「限界(limit)」


なるほど、民主主義の限界はここにありました。財政問題が国境を越えた時に、その限界は顕在化し、たまりにたまったフジツボの重みは船を沈めようとし始めるのです。

そして、危機の到来を先延ばしにしていた分だけ、その回復には、どの政治体制よりも困難を極めるということです。



かつて金融政策(紙幣発行や金利決定)が政治家の手からもぎ取られたように、新たな民主主義のもとでは、財政政策(予算策定など)も政治家の手から切り離す必要が生じそうです。なにせ、人気取りばかりの政治家たちは、アメを配ることにだけは熱心なのですから…。

冒頭に述べられているように、民主主義の歴史はまだまだこれから。今まで問題が少なかったのは、その歴史が浅かったことにも起因します。

目先では、たまりにたまった民主国家の借金をどう帳尻合わせていくのかに焦点を当てざるを得ないでしょう。民主国家に渦巻く債務危機、これを乗り越えた先にしか民主主義の未来は見えてこないようであります。その点、ヨーロッパの国家債務危機は、格好の試金石といったところでしょうか(日本も他人事ではありませんが…)。







英語原文:
Buttonwood: Democracies and debt | The Economist

posted by エコノミストを読む人 at 06:21| Comment(0) | 金融 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。