2015年09月01日

戦後70年の安倍談話、アジアへの反響 [The Economist]



第二次世界大戦の終戦から70年、台湾では李登輝(Lee Teng-hui)元総統の発言が物議をかもし出していた。

The 70th anniversary this year of Japan's second-world-war surrender as meant to "harass Japan and curry favor with China".

抗日戦70周年は、日本をいじめて中国に媚を売る(curry favor)ものだ。

台湾では7月4日に抗日戦争勝利70年を記念する式典が行われ、台湾軍の特殊部隊などが戦闘技術などのデモンストレーションや軍事パレードを行った。李登輝氏はそれを批判したのであった。





92歳になってなお気骨あふれる李登輝氏は、世に知れた親日派(fondness for Japan)だ。彼は言う。

Taiwan had been part of Japan.
台湾はかつて日本の一部だった。

日本統治時代の台湾に生まれた彼は、その流暢な日本語で「21歳(終戦の1945年)まで私は日本人だった」と言ってはばからない。戦時中は京都帝国大学に在学しており、学徒として出陣、名古屋で終戦をむかえた。彼にとって日本は "motherland(祖国)" なのである(本人弁)。



しかし、台湾においても中国においても、李登輝氏のような親日派は少ない。

Mr Lee's views are not uncommon in Taiwan. Nor, across Asia.

中国のメディアは李氏の批判を、"absurd remarks(ばかげた発言)" と一蹴した。中国本土では9月3日、抗日戦70周年を大々的な軍事パレードで祝うことになっている。『人民日報』はパレードの目的を「日本を震え上がらせ、戦後の世界秩序を維持する中国の断固とした決意を世界に向けて宣言すること」と書いている。



しかしエコノミスト誌は言う。

The angry derision was perhaps all the more intense because, historically, Mr Lee had a point. 

怒れる嘲笑はいよいよ激しくなるだろう。というのも、歴史的にみると李氏は的を得ている(has a point)からだ。




日本の安部政権は8月14日、戦後70年の談話を発表した。

それをエコノミスト誌は以下のように評する。

His "apology" itself, issued as a formal statement by his cabinet, was also seen as inadequate. It had all the right words, but glossed over some crimes, such as the imperial army's sexual enslavement of women.

内閣の公式声明として出された安部首相の”謝罪(apology)”は、不十分(inadequate)なように思われる。まったく正しい言葉で綴られているのだが、いくつかの戦争犯罪、たとえば帝国陸軍による従軍慰安婦(sexual enslavement of women)などに関して、うまく言い抜けてしまっている(glossed over)

This hints at the rosy version of Japan's imperialist past with which the country's far right likes to delude itself: Japan as liberator rather than coloniser and, in second world war, as victim rather than aggressor.

この談話は、日本の帝国主義を美化した見解(the rosy version)である。日本を植民地への入植者(coloniser)ではなく解放者(liberator)として、第二次世界大戦における侵略者(aggressor)というよりはむしろ犠牲者(victim)として記されており、これは日本の極右思想(far right)を正当化するものである。



当然のごとく、中国と韓国はこの談話に反発した。

China's official news agency dismissed it as "lacking sincerity". South Korea's president, Park Geun-hye, complained more soberly that it "did not quite live up to our expectations".

中国の国営放送は「誠意に欠ける(lacking sincerity)」とはねつけ、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領はもっと大真面目に「われわれの期待にまったく応えていない(did not quite live up to our expectations)」と不平を鳴らした。



両国に対して、安部首相の覚えは極めて悪い。

In China and  South Korea he is seen as a revisionist intent on whitewashing Japan's war record, jettisoning its pacifist constitution and making Japan strong and proud again.

中国と韓国では、安倍氏は戦争の歴史を歪曲(whitewash)しようと目論む修正主義者(revisionist)であり、平和憲法(pacifist constitution)を投げ捨て、日本にふたたび強さと誇りを取り戻そうとしている、と思われている。



エコノミスト誌は中韓両国の反応をこう評する。

In China the Communist party seeks to exploit the struggle against Japan to bolster its own legitimacy. South Korean nationalism, too, is founded in opposition to Japan. For South Korea, as for China, almost any apology would be unacceptable.

中国では、共産党が日本とやり合うことによって自身の正当性(own legitimacy)を高められる。韓国でも同様、日本と反対の立場をとることが自国の存立基盤となっている。 韓国にしろ中国にしろ、およそどのような謝罪であれ受け入れられるものではないだろう。



一方、東南アジア(South-East Asia)においては事情が異なる。

In South-East Asia, Japan's war guilt and perceived remorse seem to matter less to government and citizens. That is partly for historical reasons: Japan's invasion and colonial rule in South-East Asia were harsh but also comparatively short.

東南アジアにおいて日本の戦争犯罪に対する反省は、政府にとっても市民にとってもさほど重要ではない(matter less)。というのも、東南アジアにおける日本の侵略(invasion)と植民地支配(colonial rule)は歴史的にみて厳しかった(harsh)かもしれないが、比較的短い期間で終わっているからだ。

But most of all, South-East Asia has many other reasons to get on with a country that has been an important donor, trading partner, investor and, recently, potential ally against a rising China.

しかし何といっても、いまや日本は東南アジアにとって重要な援助者(donor)であり、貿易相手国であり、投資者である。そして最近では、台頭する中国に対抗する影の同盟者(potential ally)でもある。

A proper apology would be welcome, but it is less important.

然るべき謝罪(a proper apology)は大歓迎だが、それほど重要ではない。



確かに、日本は悪一面とは言い切れない。

Asian views of Japan's 20th-century expansionism are not all negative.

20世紀における日本の領土拡張政策(expansionism)に対するアジアの人々の考えは、否定的なものだけとはかぎらない(not all negative)



それでもエコノミスト誌は最後に、こう釘をさす。

But that is no reason why they should not be offered a better one.

そうは言っても、日本がもっとましな談話(a better one)を提示しなくていいという理由にはならない。






(了)






出典:
The Economist, Aug 29th 2015
Asia, Banyan「The uses of history」


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2015年08月29日

朝鮮半島、軍事衝突回避


北朝鮮と韓国とのあいだで砲撃が交わされた後、朝鮮半島の非武装地域(demilitarised zone)で双方の高官らが高まった緊張を緩和するための会談をおこなった。

Following artillery exchanges between North Korea and South Korea, officials from both sides met to defuse rising tensions along the Korean peninsula's demilitarised zone.

韓国側は、北朝鮮の最高権威(supreme dignity)金正恩を侮辱する、拡声器による宣伝放送(propaganda)を中止することで合意。

South Korea agreed to turn off propaganda loudspeakers that North Korea said affronted the "supreme dignity" of its dictator, Kim Jong Un.

北朝鮮は準戦時状態を解除した。

The North relaxed its state of high military alert.

北朝鮮が敵意を高めているのは、中国をゆすってさらなる援助を引き出そうとしているからなのかもしれない。

The North may have ratcheted up hostilities in order to blackmail China into increasing aid.


Politics this week
The Economist, Aug 29th 2015



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2015年08月23日

古き慣習と少子化と [The Economist]



人口統計学者(demographers)によれば、出生率が2.1より低くなるとその国の人口が減りはじめるという。ところが日本や韓国などアジアの富裕国では今、出生率(fertility rate)が1.4を下回っている。1.4以下ともなると「超低(ultra low)」に属することになる。

かつて1970年代の日本では出生率が2.1に達しており、毎年200万人の赤ちゃんが生まれていた。それから40年以上が経った今、新たに生まれる命は半減している。中国なども30年前は毎年2億5,000万人生まれていたが、いまや1億6,000万人。たった一世代(約30年)のうちに新生児の数は激減してしまっている。

アジアの豊かな国々ではこうした低い出生率のせいで、家族構成(family structure)が逆さま(upside-dow)になってしまっている。たとえば、4人の祖父母、2人の両親、たった一人の子供といった逆三角形に。



こうした人口動態(demographic trend)は、不可逆的なもの(irreversible)なのだろうか。もはや東アジアの国々は、逃れられない人口減少の渦に巻き込まれてしまっているだろうか。

いや、そうとは限らない(far from certain)。ヨーロッパのたどってきた歴史が、人口動態を逆転させる方法を教えている。



かつて20世紀のヨーロッパでは、現在の東アジアと同様、とても低い出生率に悩まされていた。というのも、工業化(industrialisation)の波が女性らを学校、そして工場へと押し流してしまい、育児どころではなくなってしまったからだった。たとえば1900年のフランスでは、およそ女性の半数が何らかの仕事をもつようになっていた。

かつて女性の仕事といえば家政婦(domestic servants)か牧場の乳搾り(milkmaids)くらいしかなかったものだが、工業化のおかげで工場に事務職(clerical occupations)なども持てるようになったのだった。

しかし、女性の社会的地位は依然として低く、賃金交渉の力(bargaining power)もなければ、社会的な常識(social norm)を変える力もなかった。当時の常識としては、夫が外で現金を稼ぎ(earn the money)、妻は家で子供の面倒をみる(look after the children)というのが一般的だった。



アメリカの社会学者、オグバーン(William Ogburn)は当時のヨーロッパの社会状況を「文化の遅滞(cultural lag)」と命名した。この言葉は、急速に進む物質生活(material conditions of life)に非物質文化(人々の思考や態度など)がついていけない状況を言い得たものだった。

この「文化の遅滞」こそ、今の東アジア諸国が直面している問題である。女性の知力(female literacy)が男性を上回っている現状、たとえば日本や韓国では男性よりも女性のほうが多く大学に通うようになっているにもかかわらず、単に女性だからという理由で昔ながらのしきたり(old ways)に従うことを強いられている。



たとえば日本では、女性は子育てのために仕事をあきらめることが求められている。たとえ女性が働いていたとしても、家では男性よりも多くの家事(少なくとも3時間以上)をこなさなければならない。

もし日本や韓国の女性が、仕事か家庭か(career or family)の選択を迫られれば、仕事を選ぶ女性が増えいる。その証拠に、東京やソウルなど大都市では子供をもたない割合(rates of childlessness)がとてつもなく高い(sky-high)。アジアではいまだ古き慣習のため、婚外子(birth out of wedlock)は社会的タブーとされたままだ。



ふたたびヨーロッパの歴史をみると、古き社会的通念(social norms)が変わりはじめるのは1960年代からで、ここ20年では劇的な変貌をとげている。男性の育児参加が広まるとともに、子供はより預けやすくなった。おかげで女性は、家庭と育児(career and rugrats)の両立にさほどの困難を感じなくなってきている。

国別にみると、スカンジナビアやイギリスなどの出生率は人口置換水準(the replacement level)、すなわち2.1以上にまで回復を果たしている。これらの国々にはもう文化の遅滞(cultural lag)がなくなっている。

だがドイツやイタリアなど、伝統的な男女の役割、すなわち男性がパン代を稼ぎ、女性が家事全般を担当するというスタイル(traditional male breadwinner / female homemaker roles)が根強く息づく国家では、出生率はいまだ低迷している。





さてアジアはどうか。この地域には、家族や結婚に対して伝統的なしきたり(traditional norms)がヨーロッパよりもずっと深く根をおろしている。そしてヨーロッパ以上に工業化が急速に進んだだけに、文化の遅滞もより大きい。

それでも幸いなことに、近年、社会の変化も加速化している。たとえば日本や韓国では、初婚の年齢(the age of first marriage)が1970年代の24〜25歳から、現在ではだいたい30歳にまで後退している。これはヨーロッパなど比較にならぬほどの大きな遷移(exceptionally big shif)だ。



子供をもたないこと(childlessness)や晩婚(delayed marriage)傾向は、アジアの女性たちが現在の社会に満足していないことを示す。それは今後の社会を変える力となりうる。

たとえば男性は、年下の女性と結婚したがる。しかし少子化の流れにあっては、年下の女性という選択肢が今後せばまり続けるだろう。というのも、人口動態が逆ピラミッド、すなわち先細りの傾向にあるからだ。ある推計によると2070年のアジアでは、160人の男性が100人の年下女性をめぐって競い合うことになる。

そうした熾烈な競争の中にあっては、家事をこなす男性(more supportive hasbands)がもてるにちがいない。一方、家事を女性まかせにしようとする亭主関白は、独身貴族(bachelorhood)を気どるよりほかに道はなくなるだろう。そうなると当然、古いタイプの人間の遺伝子は後世に残りにくくなる。

なるほど、そうした人口減少のメカニズムは、古き慣習をいずれ一掃してしまうのかもしれない。皮肉なことに古風な人ほど年下に憧れる。だが、そうした嗜好が強いほど自らの首を締めることになってしまうのだ。



性の平等(gender equity)は社会にボーナス(dividend)をもたらす、と学者らは言う。

しかし現在のアジアは、まだそれを受け取る準備ができていない。少子化の流れを逆転させるには、新たなファミリー観(family value)が必要とされている。













(了)






出典:
The Economist「Banyan; Asia's new family values」
August 22nd 2015
posted by エコノミストを読む人 at 09:16| Comment(0) | アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

リー・クワンユーとシンガポール



天然資源(natural resources)をもたない小さな島国、シンガポールが世界有数の豊かな国(one of the world's richest countries)に姿をかえることができたのは

リー・クワンユー(Lee Kuan Yew)氏の功績(the work)が大である。それは最も厳しい批評家(severest critics)でさえ認めざるをえない。

リー・クワンユーは、イギリスから自治(self-government)を獲得する1953年よりも前からシンガポールの指導者だった。そして1965年の独立から1990年までシンガポールの首相(prime minister)を務め、2011年まで内閣(the cabinet)に在籍していた。







リー・クワンユーには崇拝者(admirers)が多い。彼らにとってシンガポールはお手本(a model)であり、リー・クワンユーは賢人(a saga)である。そして欧米流の民主主義(Western-style democracy)に欠陥を見る。

欧米流の民主主義の欠陥(flaws)とは、短期主義(short-termism)、非有権者に対する無関心(disregard for non-voters)、不適格な指導者(unqualified leaders)などなど。

一方、シンガポールで実現した繁栄(prosperity)は、リー・クワンユーによる能力主義(meritocracy)、そして一党支配(one-party rule)である。とはいえ、それは独裁主義(authoritarianism)とは異なっている。







シンガポールの特徴は、小さな政府、開かれた経済、そしてシンプルな規制にある。

その結果、シンガポールは「ビジネスのしやすさ(ease of doing business)ランキング」でトップに立つことが珍しくない。ゆえにシンガポールには外国からの投資(foreign investment)が大量に流れ込んでいる。

そうしたシンガポールの開放性は、14世紀に無関税港(entrepot)として成功したことにはじまり、現在では世界の海上貿易(maritime trade)の40%が通過するマラッカ海峡(the Malacca Strait)に位置する利便性にある。



しかし、その開放性から1960年代には人種暴動(race riots)を経験した。

シンガポールでは中国系住民(ethnic-Chinese)が圧倒的多数(majority)を占め、マレー系(Malay)インド系(Indian)が少数民族(minorities)として存在する。

その暴動をへて、シンガポールには民族的な調和(ethnic harmony)が訪れた。そして現在、政治の安定(political stability)社会秩序(social order)がシンガポールの魅力となっている。







そうした安定は厳格な法の上に成り立つ。

違法行為(lawbreaking)には厳罰(harsh penalties)がまっている。体罰や死刑(corporal and capital punishment)だ。扇動的なスピーチ(inflammatory speech)なども制限されているため、ストライキなどの抗議行動(protest)はほとんど起きない。社会政策も反自由主義的(illiberal)で、同性愛(homosexual acts)なども許されない。

この一党支配、リー・クワンユーの創設した人民行動党(PAP, People's Action Party)はガッチリと権力を掌握している(a vice-like grip on power)。



シンガポールの政治制度は、本格的な野党(a serious opposition party)の出現を防止するようにできている。

大手メディア(the mainstream press)に自由は許されず、野党の指導者(opposition leaders)は破産に追い込まれる。PAP(人民行動党)はその評判を守るために名誉毀損の訴訟(defamation suits)を駆使する。小選挙区制(first-past-the-post system)の歪みは大きく、2011年の総選挙ではPAP(人民行動党)の得票率は60%にとどまったにも関わらず、90%を超える議席を確保した。







批判的な人々(critics)はシンガポールをこう評する。

「北朝鮮のようだ(like North Korea)」

「死刑のあるディズニーランド(Disneyland with death penalty)」



それでもシンガポールという都市国家(city-state)は繁栄した。一人あたりのGDP(国内総生産)は日本よりもずっと高い。アメリカよりも高い。

なんと、シンガポールにおいては自由(freedom)と繁栄(prosperity)が一体ではないのだ。

シンガポールにおける不自由は、繁栄や安定(stability)のために支払う小さな代償(a small price)にすぎない。



たとえば香港は、中国ではあるが中国でないゆえに(being China but not China)繁栄しているように、シンガポールは東南アジアにあるが東南アジア的でないゆえに(being in South-East but not of it)繁栄している。

シンガポール国民は、自分たちの小さな島が攻撃を受けやすい(valnerable)場所にあることを決して忘れない。周囲にはイスラム教徒が多数を占めるマレーシアやインドネシアがあり、自らの島も中国系住民が多数を占めている。







リー・クワンユーの功績の一つは、政府を極めてクリーンに(unusually clean)保ったことだ。閣僚(ministers)や公務員(civil servants)に高給(high salaries)を支払うことを約束し、官僚機構(bureaucracy)は曇りのない状態(untarnished)に保たれている。

政府の揺るぎなさのおかげで、シンガポールは大衆主義(populism)に陥ることなく、国の長期的利益(long-term interest)のために決断を下してきた。



だが、絶対的指導者だったリー・クワンユーが91歳でこの世を去った今、シンガポールにはいくつかの問題が芽生えはじめている。

シンガポールには子供がごく少ない。そして急速に高齢化している(aging fast)。政府による社会的支出(social spending)は増やさざるを得ないだろう。

経済成長は移民(immigration)に依存しているのだが、一部の国民は移民の流入(influx)を快く思っていない。自分たちの賃金が圧迫される、地下鉄で席をとれなくなる、と怒っている。



賢人(the wise man)の去った今

シンガポール・モデルは持続可能なのだろうか?













(了)






ソース
The Economist 「Lee Kuan Yew: The wise man of the East」
JB press 「リー・クワンユー: 東洋の賢人」



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2013年09月04日

足の止まったインド



インド経済

なぜ、インドは怖気づいたのか
How India got its funk

インド経済は1991年以来、最大の窮地(its tightest spot)に陥っている。

英国エコノミスト誌2013年8月24日号より







「超低金利のカネ(ultra-cheap money)」

アメリカの中央銀行FRB(連邦準備理事会)は今年5月、近いうちに(soon)アメリカ国債の大量購入(vast purchases)を縮小し始めるとほのめかしました(hinted)。それまでFRBは、大量のドル紙幣を世界中にばらまいていましたが、そのボーナス・タイムがいよいよ終わりの時を迎えようとしているのです。

あわてた世界中の投資家たちは、新興国市場(emerging market)から一気に資金を引き上げ始めました。ブラジルやインドネシア、とりわけインドから。



「経済的な奇跡(economic miracle)」

少し前まで、インドは経済的な奇跡(economic miracle)に国が沸いていました。当時、インドのシン首相は、8〜9%という高成長がインドの巡航速度(cruising speed)だと誇らしげだったのです。

さらにシン首相は、「何世紀もの間、インド国民の宿命だった慢性的な貧困(chronic poverty)、無知(ignorance)、そして病気」の終焉までを予測していたのです。



「見通しは暗い(the outlook is difficult)」

ですが現在、シン首相はインドの今後の見通し(outlook)が下向いてしまったことを認めざるを得ません。

自国通貨ルピーは、ここ3ヶ月で13%下落(tumbled)。株式市場(stockmarket)は約25%もの急落(ドルベース)。借入金利(borrowing rates)はリーマン・ショックの頃の水準にまで戻ってしまいました。



「自己成就的なパニック(self-fulfilling panic)」

数字の低下にいらだった政府当局は、資本規制(capital controls)を強化。それは自国民が国外に資金を持ち出すのを防ぐことが目的だったのですが、外国人投資家をも怖がらせてしまいました。

そうした内外の不安が、自己成就的なパニック(self-fulfilling panic)を引き起こし、通貨ルピーはさらに下落、そしてインフレ(物価上昇)。こうしてインドは、1991年以来最大の国際収支危機(the balance-of-payments crisis)に陥ってしまったのです。



「致命的な慢心(deadly complacency)」

インドで起こっている経済惨事は、自国の力が及ばない(beyond its control)グローバルな流れに巻き込まれた部分があります。

とはいえ、インドには致命的ともいえる慢心(complacency)もありました。絶好調だった2003〜2008年の好況期(boom)に、政府は改革や自由化を怠っていたのです。交通網などインフラ整備はいまだ不十分であり、汚職(graft)や煩雑な手続き(red tape)などは、むしろ悪化していたのです。



「社会不安(civil unrest)」

現在、インドの経済成長率は4〜5%とかつての半分にまで減速。インフレ(物価上昇)率は10%と、どの経済大国よりも悪く、そのため民間企業は投資を削減しています(slashed)。

その姿は、期待された超大国(superpower)としてそれではなく、社会不安(civil unrest)が生じかねない危ういものとなってしまいました。



「経常赤字(the current-account deficit)」

通貨ルピーの下落はもとより、制限的な労働法(restrictive labour laws)や脆弱なインフラ(weak infrastructure)などにより、インド企業は輸出にまで打って出られません。裕福な国民もインフレ(物価上昇)を受け、金(gold)を輸入して殻に閉じこもる始末。

その結果、インドの経常赤字(deficit)は増大。穴埋めすべき外国資本(foreign capital)は来年2,500億ドル(約25兆円)にも及びます。これはどの新興国よりも巨額の数字です。



「改革の失敗(failure of reform)」

インドは何も、手をこまねいていただけではありません。一年前、新たに財務相(finance minister)となったチダムバラム氏は外国人投資家を支援しようと、ボトルネックの解消に乗り出していました。

ところが、党内からは中途半端な支持(lukewarm support)しか得られず、さらには野党からの妨害(opposition)にも直面し、同氏の経済に弾みをつけようとする試みは頓挫してしまっているのです。



「何も変わっていない(nothing has changed)」

結局、何も変わらなかった状況。国営銀行では不良債権(bad debts)が増加しており、融資残高の10〜12%がダメ(dud)になってしまっています。

発電用の燃料不足(fuel shortages)は、今後の成長をはばむ足かせです。



「よりポピュリスト的な政策(more populist tack)」

来年5月に選挙が予定されていることもあり、政府が今後、より目先の利益を国民に約束するポピュリスト的な政策(tack)に向かってしまうのではないかとの懸念があります。

食料助成金の支給(to subsidise food)など、費用のかかる政策(costly plan)が計画されているのです。



「裏目(backfire)」

政府の優先事項はこれ以上の悪化(rot)を食い止めることにあるわけですが、先の資本規制(capital controls)などは完全に裏目に出てしまいました(backfired)。

さらに政府は、空港から持ち込まれるテレビに関税(duties)を課すことにしましたが、これまた下手に出てしまうかもしれません(tinker runs deep)。



「変動相場制(float)」

1991年、インドがもう少しで国を破産させそうになった時(nearly bankrupted itself)、通貨ルピーは固定相場制(a pegged exchange rate)でした(それを守ろうとしたあまりの危機でもありましたが)。

今のルピーは変動相場制(floating)。通貨の下落(weaker)は、対外債務(foreign debt)を抱えた企業に大きな打撃を与えます。ですが幸い、インド政府には取り立てて言うほどの(to speak of)対外債務がなく、その支払能力(solvency)に対してまだ直接の脅威はありません。



「インフレの抑制(to control inflation)」

そのため、インド中央銀行は通貨ルピーの管理より、国内のインフレ(物価上昇)の抑制に注力する必要がありそうです。

通貨ルピーは揺れ動いているものの、まだその価値(fandamental value)が羽目を外すところ(overshot)まではいっていないようです。



「政府の税収(the government's tax take)」

インドの所得税(income tax)というのは、それを払っている国民がわずか3%しかいないという侘しいもの(puny)だそうです。

そんな税収(tax take)に乏しいインド政府の財政赤字(budget deficit)は現在、GDP(国内総生産)比で10%に拡大しています。財政を立て直す(in order)には、この数字を7%くらいまで抑制する必要がある、とエコノミスト誌は言います。



「新税(the proposed tax)」

新たな財源として、GSTと呼ばれる物品・サービス税(tax on goods and services)が提案されています。ですがそれは、党派間の際限ない協議(endless cross-party talks)にハマり込んでしまっているようです。

次の選挙までに、インド政府が長期的改革(long-term reform)を推進できるかどうか、難しいところです。



「ゾンビ銀行(the zombie bank)」

インド政府は、ゾンビ化している公的銀行(pablic-sector banks)の資本を増強する必要もあります。

赤字続きの政府にとって、それは思い切ったことかもしれませんが、それで信頼が(confidence)が高まるのであれば、それだけの価値がある(worth it)、とエコノミスト誌は言います。全面的な金融危機(a full-blown financial crisis)への恐れは、まだ燻っているのです。



「希望の光(glimmers of hope)」

今年7月の統計では、輸出が持ち直した(picked up)ことから貿易赤字(trade gap)が縮小しています。

ただ、神経質になっている世界市場(jittery global markets)にあって、それはまだ小さな光に過ぎません。



「雇用(find jobs)」

このままでは今後10年間、何千人ものインドの若者たちは何もないところ(where none corrently exit)から仕事を見つけなければなりません。

政府側がそうした雇用を創出するには、保護された産業(protected sector)、たとえば小売業などでの抜本的な規制緩和(radical deregulation)が求められます。また、石油や鉄道など国の独占企業(state monopolies)の解体、制限的な労働法の改革、インフラ整備(道路や港湾、電力)なども課題となるでしょう。



「プラスの遺産(positive legacy)」

1991年、インドを襲った国際収支の危機は、自由化改革(liberalising reform)につながるというプラスの遺産(positive legacy)も残してくれました。

そのおかげで、数十年におよんでいた停滞期(stagnation)に終止符が打たれ、その後、奇跡の急成長がインドに超大国への道を開いたのです。



「怖気(funk)」

インド経済の欠陥(flaws)が今回の自覚から対処されるのであれば、インドに眠る膨大な潜在能力(mighty potential)が解放されるかもしれません。

ただ今のところ、新たな改革には怖気づいている(got its funk)ようですが…。






(了)






英語原文:The Economist
India's economy: How India got its funk


posted by エコノミストを読む人 at 13:21| Comment(0) | アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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